松正庵日記 2010年
しょうせいあん
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2010年3月にかぐらスキー場で転倒し右膝の前十字靱帯断裂してしまいました。4月に靱帯再建手術を受け、徐々に歩けるようなりました。平地のハイキングから始めて少しづつ登山に復帰し、年末にはテニスとスキーも出来るまでに回復しました。2010年の松正庵日記は前十字靱帯の断裂、再建手術、リハビリ、スポーツ復帰までの記録を中心に書きました。
2010年12月30日(木)
餅つき
毎年恒例の餅つきをT君宅でした。大勢の友人、知人が集まり盛況だった。我が家も10Kg、3臼ついた。私一人ではとても無理だが息子や孫がつきあげてくれた。他の友人宅も状況はほとんど同じで世代交代が着々と進んでいる。こうして伝統が受け継がれていく。夕方終了する頃には酒がまわり杵を持ち上げるのも容易ではなくなっていた。
2010年12月26日(日)
スキー復帰 術後8ヶ月
 膝に怪我をしてから9ヶ月ぶりにスキーをした。再びスキーが出来る日がこんなに早く来るとは思わなかった。手術してくれた先生やリハビリの先生、家族、友人達に励まされてここまで来れたのかと思うと彼らの親切が身にしみる。
 最初の一滑りは膝崩れ(膝の脱臼)がおこらないか不安だったが杞憂だった。ボーゲンでゆっくりと滑り出し次第に速度を上げていったが痛みや関節の不安定感は出なかった。3月に受傷した斜面を無事に滑り終えた時にやっと復帰できたのだと実感が湧いてきた。帰宅してからやや痛みが出たがそれも翌日には収まった。今回はしなかったが筋力が回復してきたらテレマークスキーもしてみたいと思う。
 すでに登山、テニスには復帰し最後の目標のスキーにも復帰する事ができた。まだ受傷前のレベルには戻っていないが徐々にレベルアップしていきたいと思う。
2010年12月6日(月)
通院(7) 術後7ヶ月
今日は手術した膝の定期検診日だ。診察の結果は順調との事だ。スポーツに復帰しても良いと許可が出た。登山とテニスはすでに始めているが特に問題は無い。膝の保護をする装具を着けて慎重にやるようにと言われた。待望の許可ではあるがスキーをするには不安がある。
 通院には東急東横線を使っている。帰りに綱島駅で途中下車した。綱島には戦前から戦後にかけて賑わった綱島温泉がある。最盛期には数十軒の温泉旅館が建ち並ぶ東京の奥座敷だったが今はその面影はなく僅か一軒の立ち寄り温泉があるだけだ。幼い頃祖母に連れられて何度か通った記憶があり50数年ぶりだ。浴場や建物は昔のヘルスセンターの面影そのままでレトロだ。年輩のグループが大広間でカラオケを楽しんでいる。忙しい大都会の中にあるにもかかわらずゆったり、のんびりした空間が広がっていた。

綱島温泉
2010年11月25日(木)
近畿遠征 術後30週
近畿地方最高峰の大峰山(八経ヶ岳)と大台ヶ原に行った。連休のためか高速道路は渋滞だった。友人と交代で運転したが片道10時間は大変だった。。大峰山は心配していた雪は降らなかったが数日前に降った雪が登山道に少し残っていた。朝の気温は1℃だが風があったので体感温度は氷点下だ。3日間の山行で晴れたのは初日だけと天候には今ひとつ恵まれなかった。それでも温泉や美味しい食事と晩秋の山を楽しむ事が出来た。
 長い下山で手術した膝に痛みが出てペースはあがらなった。痛みは手術した所ではなく膝頭に出た。いつもとは違う痛みで少し心配だったが帰宅した翌日には痛みはすっかりなくなっていた。まだ無理をしてはいけないという警告なのだろう。
2010年11月11日(木)
テニス 術後28週 
テニスコートに行った。手術した膝には装具をつけなければならない。妻を相手にグランドスロークとボレーを軽く1時間ほどした。遠くにきたボールは無理をせず追わないようにする。走るとやや不安を感じるが痛みが出るような事はなかった。怪我をしてから7ヶ月ぶりだったが近くのボールを打つだけならばそれほど難しくはなかった。ゲームで勝つにはまだ時間がかかりそうだがコートに立つ事ができるようになっただけでも嬉しい。
2010年11月7日(日)
吾妻渓谷 術後28週
嵩山下山後に吾妻峡に行った。遊歩道一周3.5Kmを1時間半ほど歩いた。渓谷美と紅葉がとても美しかった。この渓谷にはダム建設が計画されていたが民主党政権になって中止になった。それがまた最近になって再びダム建設を見直すことになりダムが建設される可能性も出てきた。一番迷惑を被っているのは地元の人たちで生活がかかっているだけに深刻な問題だ。自然を愛する人たちにとっては美しい自然が破壊されることには心が痛むことだろう。

 手術した膝には特に以上は感じないが疲労感が少しある。
2010年10月25日(月)
箱根 芦の湯 術後26週 
芦ノ湖西岸遊歩道を歩き終えて汗を流しに芦の湯温泉の立ち寄り湯に行った。箱根の山を歩きに来ると帰りには必ず寄る温泉だ。芦の湯は箱根7湯の一つで国道1号線の最高所付近にある。開湯は鎌倉時代と古い。芦の湯温泉街の奥まったところにありこじんまりと目立たない。浴槽は小さい。今まで何度か入ったがいつも誰もいない。今回もゆったりと入らせていただいた。
 
 手術した膝に異常は感じない。
2010年10月18日(月)
通院(6) 術後25週
術後5ヶ月が過ぎ筋力測定をした。リハビリ室で筋力測定をする器械に座る。足に負荷をかけて筋力をはかる。まず強い負荷かけて測定し次に弱い負荷をかけて測定する。これを左右それぞれするので計4回測定した。結果は左右とも術前より概ね筋力が強くなっている。術前の測定時は受傷から一ヶ月後で運動は何もしてなかったので筋力が落ちていたのだろう。只、手術した足の屈曲側は術前のレベルに戻っていない。太股の後の筋膜を移植用に採取したので屈曲側では力が入らない。
 テニスは軽い乱打の許可が出た、ゲームはまだできない。整地されたゲレンデならばスキーもして良いと言われた。無理をしないでゆっくりのんびり復帰しようと思う。
2010年10月4日(月)
鳥ノ胸山 術後23週 
歩き出して暫くしてから膝を保護する装具をしてないことに気が付いた。引き返すのも面倒なのでそのまま歩き続けた。装具を着けるのを忘れるほど回復してきたということだろうか。降雨後の登山道は滑りやすかったが転ぶ事もなく無事に歩き通せた。下山後に立ち寄り温泉に入り膝の屈伸を浴槽で充分にしておいた。特に痛みは無く順調だ。
2010年9月19日(日)
至仏山登山  術後21週
至仏山の登山道は蛇紋岩が露出しておりとても滑りやすいと言われている。リハビリ中の膝には負担が大きいのではないかと心配しながら行ったがそれほどでもなかった。木製の階段が整備されとても歩きやすかった。雨で濡れていたら滑りやすく印象も変わったのだろう。慎重に歩いてはいたのだが下山中に足を滑らせた。滑った瞬間に膝に負担をかけないように尻餅をついて受け身をとった。膝を傷める事はなかったが手のひらを少しすりむいてしまった。
2010年9月13日(月)
スーパーカブ
愛車のスーパーカブだ。義父から貰ったもので長く乗っている。全世界で50年間に6000万台が生産され乗り物の生産台数としては他に類を見ない。我が愛車にはハイカムやビッグキャブを組み込みパワーアップを図っている。渋峠から熊ノ湯温泉まで8Kmを走ったが高地で空気が薄いためチューンドエンジンは調子が悪かった。最近の車種にはキャブの変わりに燃料噴射装置が付いたので高地でも関係ないらしい。今回は下りだけだったので自転車でも大丈夫だったかなとも思う。上りが続く時はやはりバイクが楽だ。 
2010年9月12日(日)
蓬峠越え 術後20週
18:12発にはまだ時間がある。上越線土樽駅は無人駅で売店はなく駅の周りには店もない。ベンチで横になって待つしかない。列車を待つ人は私だけだ。待つ事1時間半、定刻になっても列車は来ない。備え付けの電話で湯沢駅に問い合わせてみると長岡付近で大雨のため不通になっているという。JRでタクシーを呼ぶのでそれで土合駅まで行くように言われた。更に待つ事30分、来たタクシーに乗って土合駅に送ってもらう。メーターは1万数千円を指しているがそれはJRが払ってくれる。随分とサービスが良い。しかし時間は遅くなり20時近くにやっと土合駅に着いた。
 22Km,11時間はかなり厳しかったが歩き通す事ができた。膝に異常は感じないが筋力が落ちているのだろう、疲労感と筋肉痛が激しい。

土樽駅の時刻表
上り、下りとも1日5本
2010年9月6日(月)
通院(5) 術後19週
スポーツ整形外科で受付を済ませると間もなく診察の順番がきた。いつもならば1時間程度は待つのが普通だ。今日は僅か1分だろうか。待合室は特別に患者の数が少ないようには見えない。不思議だ。診察はすぐに終わり膝の安定性に問題はないが筋肉が少し落ちているので筋力トレーニングをした方がよいとアドバイスをいただいた。診察後にリハビリ室に向かう。自転車こぎやステッパーを一通りこなすとリハビリの先生がこちらにむかって来た。4ヶ月を過ぎ膝の伸展規制は無くなるので正座できるまで少しづつ曲げるように指示された。登山も装具を着けてであれば大丈夫と許可が出たが実は既に始めているのだ。リハビリの先生が先日槍ヶ岳に登った話を楽しそうにしてくれた。
2010年8月31日(火)
東北遠征  術後18週
友人夫妻と岩木山、八甲田山、八幡平登山に行った。往復1400Kmは友人と交代で運転したのでそれほど苦にはならなかった。東北道を北上して盛岡を過ぎたあたりで車の燃料計が0を指しているのに気が付いた。ハラハラしながらやっとの思いでSAに着いたがガソリンスタンドがない。売店で聞いてみると昨年まではあったが既に閉鎖してしまったとの事だった。ロードサービスに電話してガソリンを補充して貰った。東北の田舎はガソリンスタンドが少ないので早めの給油が必要だ。
 リハビリ中の膝は痛みはなかったが脱力感のような違和感はまだある。装具は装着して膝を捻らないように慎重に行動した。
2010年8月30日(月)
藤七温泉
八幡平下山後に近くの藤七温泉の立ち寄り湯に行った。東日本で一番高所にある温泉だ。広い露天の湯船が5つもある。底に堆積している泥を体に塗ってみると皮膚が滑らかになったような気がしてくる。露天風呂は混浴になっており若いカップルが楽しそうに入っていた、登山の帰りなのだろうか。 混浴の習慣が若者に受け継がれて行くかと思うと安心する。
2010年8月29日(日)
酸ヶ湯温泉
八甲田山下山後に酸ヶ湯温泉に宿泊し千人風呂という大きな混浴の温泉にに入った。浴槽には男女を隔てる衝立が立てられ浴槽も真ん中より左半分が男用で右半分が女用になっていた。10数年前にオートバイで来た時にも入ったがそのような仕切は無かった。マナーの悪い人が目立つので仕切が設けられたと書かれている。以前は老若男女が和気藹々と談笑しながら入っていた事を思い出す。日本の古き良き習慣がまた一つ失われていく、残念な事だ。
2010年8月24日(火)
志賀高原 術後17週
志賀高原は日本有数のリゾートだ。広いのでどこが中心なのか、主峰はどれなのかよくわからない。今回志賀高原の山を登るにあたっては山名が志賀なので志賀山にした。志賀高原の主峰は志賀山と勝手に決めて登る事にした。麓は軽装の観光客で賑わっていたが登山道は岩が露出して予想以上に手強かった。我が膝は段差の大きい岩を登る時に少しだが痛みを感じた。膝に負担がかからないように小股で歩くようにした。無理をせずに帰りは林道経由で車道に出て路線バスで出発地に戻った。翌日になっても膝に痛みは無いが疲労感が残っている。
2010年8月16日(月)
山中湖サイクリング 術後16週
自転車は膝を痛めた私には優しいスポーツだ。暑い下界を離れ膝のリハビリも兼ねて山中湖にサイクリングに行った。自転車で走り出してギアチェンジをしようとしたがギアが切り替わらない。あちこちいじってみたが良くわからない。ギアが変わらないまま走っていると貸し自転車屋さんが目に入った。先ほどから貸し自転車に乗っている人を何人も見かけた。自転車の修理を依頼してみると快く承諾してくれた。調べてみるとギアチェンジ用のワイヤがささくれて外筒に引っかかっている。ささくれを治してくれるとギアが動くようになった。話の楽しい職人さんで1時間ほどの修理時間が短く感じた。本当にありがたかった。
2010年8月10日(火)
銘酒花霞 術後15週
高村光太郎の智恵子抄で知られる安達太良山に登り下山後に二本松市にある智恵子の生家に行った。家は近郷随一の造り酒屋であり、その家が当時のままに保存され公開されている。今もその名が残る銘酒花霞の酒造元だった。夭逝したと思っていたが53歳まで光太郎との愛を育んだそうだ。生家の隣の土産物店で花霞を一本買い求めた。今夜はこれで一杯やろう。
 膝の裏に少し痛みが出たのでしばらくはおとなしくしていよう。
2010年8月3日(火)
開聞岳登山 術後14週
患肢をかばって歩いた為か健肢の方の筋肉痛が激しい。手術した膝には特に異常を感じない。
 開聞岳は標高が1000mに満たない低山で登り易い山だとの認識があった。しかし登山前にネットや解説書を読み決して登りやすい山ではないと考え直した。登山口が海面近くにあるので登る標高差は800m以上ある。甘く考えて居たわけではないが水を充分にもって行かなかった事は何処か甘く考えていたのかもしれない。南国の山を真夏に登るのであれば暑さ対策として充分な水分補給が必要だ。今回は頂上に着いた時には持っていた水を飲み干してしまい下山中に脱水症と熱中症になり始めていた。大事無く下山できてよかったが反省しなければならない。
 宮崎に嫁いだ娘の所に孫の顔を見がてらの登山だった。 
2010年7月26日(月)
通院(4) 術後13週
医師は足を引っ張ったり曲げたり何度もしている。膝の伸び方が少し悪いらしいがこの程度は特に問題は無いそうだ。膝を伸ばす運動を意識的にやるように指示された。診察が終わったのが12時だったので急いで地下のリハビリ室に行った。リハビリの先生は昼休みになろうとしていたが親切に付き合ってくれた。今日から左右のステップを入れた運動が許可になった。テニスは軽く乱打程度なら良いかと聞いてみたが即座に駄目と言われた。テニスは膝を捻るのでまだ無理との事だ。
2010年7月18日(日)
尾瀬  術後12週
尾瀬にニッコウキスゲを見に行った。20Km、10時間は歩くことが出来るか自信9割不安1割というところだった。登山道入り口からの30分ほどの急登は前日の大雨の影響で沢水が大量に流れ滑りやすくなっておりかなり緊張を強いられれた。アルミ製の装具は歩きの邪魔だが膝を捻らない為には必要だ。長い歩きだったが膝の痛みは発生せずに筋肉痛の方が強かった。
2010年7月11日(日)
メジロ
近所の家の庭木にメジロが巣を作り卵を暖めている。母鳥か父鳥かはわからないがとてもかわいい。下から見るとメジロだけに目を丸くして緊張しているように見える。驚かさないように静かにしなければならない。雛が孵るのが楽しみで無事に育って欲しい。カラスの襲撃がないように祈るばかりだ。
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2010年7月5日(月)
アカショウビン 術後10週
信州の友人宅に行き泊めていただいた。早朝今まで聞いたことのない鳴き声で目が覚めた。友人も起きてきてアカショウビンの鳴き声だと教えてくれる。家の前の電線に停まっている。慌ててカメラを取り出して撮影する。ピントは甘いがなんとか撮影に成功する。アカショウビンを見るのは今回が初めてだ。
 この日は自転車で安曇野を走った。4時間弱、32Kmほど走ったが快調だった。翌5日は八島湿原を2時間、4.5Km歩いた。初夏の爽やかな高原を歩くのは気持ちの良いことだ。いずれの日も膝に痛みはなく順調だった。
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2010年6月28日(月)
通院(3) 術後9週
今日の診察も2〜3分で終わった、順調とのことだった。診察後に地下のリハビリ室に向かう。固定自転車こぎをしていると担当の先生が来てくれた。ステッパー10分×2セット、レッグプレス15回×3セットを指示された。レッグカールも指導を受けたが腱採取部の肉離れの恐れがあるのでほとんど負荷をかけない状態で軽くした。どれも膝周りの筋肉を鍛える運動だ。その後にジョギングの指導をうけた。1分ジョギング+一分歩き10セットを一週間続ける。一週間ごとにジョギングを1分づつ増やしていく。ただし膝をひねるような動作はしてはいけない。ジョギングとはいえ走っても良いとの許可は嬉しい。膝の痛みはほとんどないが倦怠感がある。また下肢のむくみもある。1カ月後の診察を予約した。
 診察後に新宿区目白のバックカントリーの専門店カラファテに行った。バックカントリー用のストックの修理依頼のためだ。興味深い商品が所狭しと陳列してあり見ているだけで楽しくなってくる。

カラファテの店内
2010年6月21日(月)
日光戦場ヶ原ハイキング 術後8週
日光の湯元から戦場ヶ原を縦断し竜頭の滝まで9Kmを4時間ほどかけて歩いてきた。心配していた雨も降らず時々晴れ間もでる良い天気だった。濡れた木道は滑りやすいので慎重に歩いた。膝の保護をする装具をつけてはいたが痛みは出ず順調に歩けた。普段立ち仕事が多く患肢側がむくむのだが歩くとむくみが軽減するようだ。足の筋肉がポンプの役割をして静脈血を押し戻してくれるのだろう。
2010年6月14日(月)
箱根ハイキング 術後7週
箱根で会合があったのでついでに箱根のハイキングコースを歩いてきた。1日目は2時間、7.5Km歩いた。やや不安だったが痛みもなく歩き通すことが出来た。2日目の朝は雨模様だったが膝に異常は無かったので3時間、6.7Kmを歩いた。今日も痛みはなかったが筋肉の疲労はかなりあった。3ヶ月も歩けなかったので筋肉が萎縮してしまうのは当然だろう。 箱根に公共交通を使って行く時は小田急から発売されている箱根フリーパスを利用すると便利だ。小田急線、箱根登山鉄道、箱根登山バス、ケーブルカー、ロープウェイ、海賊船に2日間乗り降り自由だ。料金はかなり割安になっている。今回は利用してみてその便利さがよくわかった。
芦ノ湖 海賊船
2010年6月7日(月)
通院(2) 術後6週
大腿裏の移植用の腱を採取した筋肉で肉離れをおこしたらしく数日前から痛みと内出血がある。そのことを診察時に医師に伝えると良くあることらしく心配はないらしい。自動車の運転の許可はまだ出なかった。急ブレーキをかける場面で不安があるとのことだった。診察を終わってから鎌倉の霊園に行った。若くして逝った友人の命日だ。材木座海岸近くの丘の上にある霊園は眺めが良く鎌倉の町を一望できた。天気が良く霊園や鶴ヶ丘八幡宮まで数Kmを歩いたがまだ膝には力が入らず本調子には時間がかかりそうだ。
2010年6月6日(日)
散歩 術後40日
天気が良く涼しい風が吹いている。手術をしてから6週近く過ぎたので少し歩いてみようと思った。いつもの雑木林の散歩道を愛犬と一緒に5Kmを1時間以上かけてゆっくりと歩いた。愛犬も私と一緒に歩けるのが嬉しいらしくはしゃいでいる。途中実家により一人暮らしの母を訪ねたが眠っていたのでそっと帰ってきた。膝の調子は順調なので少しづつ歩く距離を伸ばしてみよう。
2010年5月24日(月)
通院(1) 術後25日
退院後初めての診察があった。朝から雨で路面が滑りやすくなっている。滑って転ばないように慎重に歩いた。早くは歩けないが日常生活に困ることはなくなった。病院まではバスと電車を乗り継ぎ1時間ほどかかる。朝の通勤時間帯に電車に乗るのは恐怖だ。膝の装具を装着しているとは言え膝を押されたら大変だ。診察時間はわずか3分ほどで終わった。順調に回復しているらしい。2週間後の診察を予約してから地下のリハビリ科に行く。固定の自転車こぎを15分ほど試してみるが快調だ。リハビリの先生も順調に回復していると言ってくれた。帰りの電車で30代の男性が席を譲ってくれたが嬉しいような恥ずかしいような複雑な気持ちになった。
チタン製のネジやボタンで再建靱帯を固定している。関節の隙間は充分にあり軟骨は無事のようだ。
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2010年5月10日(月)
退院 術後12日
退院が許可された。もう少しのんびりとしていたいが仕事をしなければならない。膝の伸展が水平、屈曲が120度が条件だ。退院後の諸注意を看護婦さんからうける。2週間に一度の通院をしなければならない。スポーツに復帰できるのは8ヶ月後だ。今年の夏山登山は諦めるしかないようだ。スキーは来シーズンに間に合うかもしれない。看護婦さんから渡された請求書を見ると30万円弱だ。膝も痛いが財布も痛い。
2010年5月9日(日)
術後11日
姉と妹夫婦が見舞いに来てくれた。皆で外に出てランチにした。ナースセンターに外出届を出す。店まで数100mあるが歩いて行くことができた。歩道を歩いていると自転車の通行が非常に気になる。衝突でもされたら再建靱帯が断列するかもしれない。元気な時は気にならなかったことだ。レストランに入ってランチにするがグラスワインを1杯飲んでみた。久しぶりのアルコールが腹にしみて美味い。しかし2杯目は注文せず我慢する。よろけて転んだら大変だ。
2010年5月6日(木)
術後8日
膝を保護する装具ができた。アルミのフレームで膝が左右に動かないようになっている。再建靱帯の再断裂を防ぐ為だ。サイボーグの膝のようでものものしい。10万円近くするのだが後日健康保険から70%が払い戻される。 今日から装具を着けてではあるが松葉杖を使わないで歩けるようになった。少しづつ回復してくるのがわかりうれしい。
装具
2010年5月4日(火)
術後6日
松葉杖無しで歩いてみた。やや不安を感じるものの大丈夫だ。病室内は杖無しで過ごすことができるようになった。両手が空いているということは便利なことだと改めて感じる。 今日も友人や息子夫婦と孫たちが見舞いに来てくれた。私が元気そうにしているので皆安心したようだ。ありがたいことだ。
昼食の天ぷらうどん
2010年5月3日(月)
術後第5日
病室のベッドは八階の窓際にあるのでとても眺めがよい。ベイブリッジのフラッシュライトの点滅が綺麗だ。丹沢山塊とその向こうに富士山も見える。夕方に右膝の術野をサランラップで巻いて保護してシャワーに入った。一週間ぶりのシャワーは気持ちがよかった。
丹沢の向こうに富士山が
見える(クリックで拡大します)
2010年5月2日(日)
術後第4日
この週末に山の友人やテニスの友人たちが大勢見舞いに来てくれた。久しぶりにあう友人たちと話が弾んでしまい入院患者であることを忘れてしまう。 今日から両松葉杖から片松葉杖になった。片手が自由になったので物を持って歩いたりトイレのドアを片手で開けたりと便利になった。見舞いの品にワイン、日本酒等もあり夜を楽しみにしていたが妻に持ち帰られてしまった。
2010年4月30日(金)
術後第2日
今日からリハビリが始まった。地下1階のリハビリ室に行く。広い体育館のような所だ。膝を痛めた若者達の一団の所に行き理学療法士の指示通りにリハビリを始める。台の上に座り関節可動域訓練(膝の曲げ伸ばし)10分×2、大腿四頭筋セッティング(力入れ)100回、1/4スクワット20回×3、歩行訓練等をした。やはり膝が痛む。同じ日に同じ手術を受けた若者と3人ならんでのリハビリだ。それぞれ前十字靱帯を断裂した原因はサッカー、ダンス、バイク、そして私のスキーだ。一つの運動が終わる度に5分ほど膝をアイシングする。2時間ほどで終わり病室に帰る。午後にまた同じメニューのリハビリをする。スポーツ整形の病棟は若者ばかりで重症患者はいないので明るい雰囲気だ。
リハビリ室
2010年4月29日(木)
術後第1日
昨夜は痛みでほとんど眠ることができなかった。明け方にうとうとしてから目が覚めると不思議なことに痛みがかなり少なくなっていた。この痛みがずっと続くのかと心配したがこれで何とかなりそうだ。昨日麻酔をしてくれた若い先生が診察に来てくれて膝からドレンチューブを抜いてくれた。点滴のチューブもはずしてくれた。これで身軽になった。松葉杖をついて少し室内を歩いてみるが手術した方の足は怖くて床につくことができない。朝一番で兄が様子を見に来てくれた。面倒見の良い兄で今回のことに限らず何かと心配してくれる。数年前までテニスのダブルスのパートナーとして試合によくでたものだ。午後からCPMというリハビリの機械で軽く膝の曲げ伸ばしをした。
膝を冷やしている
2010年4月28日(水)
手術
手術室には男性医師が3人と女性看護士が2人いた。手術台に乗り仰向けに寝る。点滴の管や血圧計、心電計のコードが取り付けられる。台の上で横になり膝を抱えて背中を丸くする。腰椎付近にチクリと軽い痛みを感じる。腰椎麻酔だ。まもなくへそから下が痺れてくる。手術チームは「お願いしま〜す。」とかけ声をかけてから手術が開始された。内視鏡手術なのでその映像がモニターに映し出される。断裂した靱帯を綺麗に取り除いている。次にドリルで骨にトンネルを掘っている。掘ったトンネルに太股の後ろから採取した腱をとおす。本来は一本の靱帯だが再建する靱帯は二本だ。手術は二時間もかからずに終了した。最後にチーム全員でありがとうございました、と挨拶している。私も大きい声で唱和する。執刀してくれた先生が笑顔で問題なく予定通り終了したと言ってくれた。膝のほかの部分は年齢による変化は見られないことも付け加えてくれた。
夜になり麻酔が切れてくると痛みが激しくなってきた。骨に4本もトンネルをあけたのだから痛いのは当然だろう。骨折と同じ痛みだ。鎮痛剤を点滴してもらったにもかかわらず朝まで痛みでよく眠れなかった。

手術前、不安そうな表情だ
2010年4月27日(火)
入院
朝九時に病院に来た。受付で入院の受付をする。沢山の書類があるがあらかじめ家で記入してきたので手続きはすぐに終わった。係りの人に整形外科の病室に案内される。一緒に三十代の男性、二十代の女性も同じフロアーに案内される。二人とも膝を痛めているようで明日私と同じような手術を受けるのだろう。最初の数日は個室で過ごすことになっている。早い病院の昼食をすませてから妻と外にでて妻の昼食につきあう。昼食から帰ってからリハビリ室に行く。手術前の筋力測定だ 。左右の足の筋力を記したグラフを見ながら先生が説明してくれる。筋力も十分あり左右の差もそれほどなくバランスがとれていると言われる。年の割には(んっ?)良い値らしい。夕方にシャワーを浴びながら明日の手術に備えて右足の毛を剃る。つるつるの毛のない足は何か奇妙だ。
筋力測定
2010年4月19日(月)
MRIの結果
MRI検査の結果を聞きに行った。先生の説明を聞きながら膝の画像を見ると靱帯が切れていることがはっきりとわかる。手術の日程を早速決めていただく。2週間の入院が必要だ。診察後に血液検査、尿検査、胸部X線検査をする。また膝の装具を作る為に膝の寸法を測る。採血の時にアルコールで腕を消毒してくれる技師にアルコールは大丈夫かと聞かれ大丈夫ですと答える。内心ではアルコールは好きですと答える。リハビリ科によってから病院を出た。
 病院を出てから付き添ってくれていた妻と横浜中華街に行く。最寄りの駅から中華街までは乗り換え無しで行かれる。遅いランチをしてから帰る。
 横浜中華街
2010年4月12日(月)
MRI検査
MRIでの膝の精密検査を受けた。細長いトンネル状の装置に下半身を入れる。装置が動き出すとカンカンガーガーと騒音がする。撮影には10分〜15分くらいかかった。騒音を避けるためにヘッドフォンを装着したが懐かしいビートルズの曲が流れている。患者の年齢に合わせて選曲するのだろうか? ウトウトしている内に検査は終了した。来週検査の結果を聞きにきて手術日等を決める。
 MRI検査後にリハビリ室に行って膝のストレッチの指導を受けた。膝は良く曲がり痛みもあまりなく良い状態だと言われる。
 帰りは駅前のレストランで昼食をとりコーヒーを飲んでから帰宅した。

リハビリ室
2010年4月5日(月)
初診
待合室は大勢の人たちで一杯だ。必要事項を書き込んだ書類を受付に出して診察室の前で順番を待つ。順番がきて診察室に入ると50歳代の先生が診察してくれた。膝の専門医として高名な医師だ。足をひっぱったり膝を曲げたりしてから靱帯が切れていると告げられた。わずかの望みもこれで絶たれる。覚悟していたとはいえ落胆する。スポーツを続けたいのであれば切れた前十字靱帯の再建手術を受ける必要があり手術をすればもとのようにスキーも登山もできると言われる。手術をしても完全復帰には半年から一年ほどの辛いリハビリを耐えなければならないらしい。それでは手術をお願いしますと即返事をする。手術前にリハビリを受けて膝の可動域を広くしなくてはならない。体育館のようなリハビリ科に行くと膝を痛めた若者達が大勢顔をしかめながらリハビリに励んでいる。私についてくれた若い理学療法士にスポーツで膝の靱帯を傷めた人たちの中では私が最年長です、などと言われてしまう。これから一年間面倒をみてくれる理学療法士だ。帰宅する前に来週のMRI検査とリハビリを予約した。
2010年3月31日(水)
膝くずれ
痛みも腫れも引いてきたのでそれ程重症ではないのかもしれないと勝手に考えていたが間違いだった。家の中で方向を変えようと膝を捻ったらカクッと膝が崩れて転んでしまった。やはり単純な捻挫ではなさそうだ。インターネットでスポーツ整形外科を検索すると近くでは関東労災病院がヒットした。HPを読んでみると前十字靱帯の再建手術を年間に400例近く行っている。早速電話で予約した。
2010年3月29日(月)
転倒
朝から雪が降り続きホームゲレンデのかぐらスキー場は圧雪が間に合わない。ゲレンデでも深雪が楽しめる。ゲレンデ脇のダケカンバの疎林に入ると胸パウダーだ。パウダーを巻き上げ午後まで滑りを楽しんでから帰ろうとした。メインゲレンデを滑り降りる時左ターンで右スキーの内エッジがひっかかり転倒した。天地が逆になり一回転した。その時右膝でグキッと音がして激痛が走った。しばらく痛みで立ち上がれない。しばらく休んで痛みが少し引いてきたので恐る恐る斜滑降で滑り始めた。右足が谷側での斜滑降で膝がカクッと崩れて転んでしまう。これは靱帯を切ったなと思い近くにいた妻にパトロールを呼ぶようにたのんだ。パトロールのスノーモービルの後席に乗りスキー場の診療所まで運んで貰った。診療所の医師に診察して貰うと念のために家に帰ったら膝の専門医に精密検査をして貰うようにと勧められた。
2010年3月16日(火)
バイク整備
3月になって暖かい日が続いている。冬の間乗らなかったバイクを外に出し洗車、整備した。二台とも古いバイクだが機嫌良くエンジンがかかった。冬の間全く乗らなかったにもかかわらずだ。必ず何かしらトラブルが起こるのに今回はキック一発、セル2発だった。暖かくなったのでどこか高原をのんびりとツーリングしたくなってきた。
2010年3月10日(水)
神楽ヶ峰遭難
神楽ヶ峰で千葉県から来た3人のボーダーが道に迷い遭難した。雪洞を掘って2晩耐えたそうだ。無事に救助されて本当に良かったと思う。かぐらスキー場をホームゲレンデにしている我々には他人事とは思えない。かぐらスキー場の上部に広がる神楽ヶ峰は天候さえよければ我々でも山スキーを楽しめる地域だ。しかし天候が悪く視界が悪いと方向がわからなくなり危険だ。山に入るのは雪山でも夏山でも天候の良い時に入るのが大原則だ。今回も天候が悪いのに入山して道がわからなくなったようだ。山にはいる時は自分は体力も技術もない初心者なのだということを肝に銘じ臆病なほどまでに慎重に行動するようにしている。
左の尾根が神楽ヶ峰
右の台形の山が苗場山
2010年2月27日(土)
谷川岳
国道17号線を沼田から我が家に向かって走っていると右手に大きくそびえる双耳峰がみえる。真田の城があった名胡桃城址からの眺めでトマの耳とオキの耳の二つの頂上を持つ谷川岳だ。これほどくっきりと見えることはめずらしい。数年前の秋に谷川岳の肩の小屋で3000回登頂を目指している老人にあった。冬でも天神平までロープウェイが通っているので年間を通して登っていると言っていた。我々でも天気さえ良ければ積雪期でも登ることができると教えてくれたことを思い出す。
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2010年2月13日(土)
オートバイクラブ
オートバイクラブの遅い新年会をした。30年来のオートバイ仲間だ。かつて若者だったメンバーの平均年齢は60歳をこえている。体の具合が悪いことや老いた親の介護などの年齢相応の話題が多い。しかしどこそこのコーナーを時速何キロで走り抜けたとか1日で何百キロ走ったとか若い時と変わらない話もでる。楽しい酒に時間がたつのも忘れてしまう。幸い事故で重症を負った者はまだいない。いつまでも怪我の無いように走り続けて欲しい。
2010年1月3日(日)
湯温の低下
我が家の隣にある共同温泉の温度が低くなった。以前は水を入れないと入れないくらい高温だったのが最近はやや熱いのを我慢しながら入れる程になった。自分にとってはこのくらいの温度がちょうど良いのだがこれではぬるすぎると言って源泉に近い共同浴場に行く人たちもいる。源泉をそのままひいているのでいつも同じ温度ではなく季節やもっと長い周期で変わるのかもしれない。しかしこれ以上低くなって欲しくないものだ。
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